ブラックパンサー:ヴィブラニウムスーツ、鋼の錬金術師の機械鎧(オートメイル)説
個人的にはもう少しスーツを映えさせてほしかったブラックパンサー。
ただワカンダのバックグラウンドにはすごい興味を持った。
ヴィブラニウム大国なんだとしたら、国王だけがスーツを着るんじゃなくて老人にもヴィブラニウムロボットアームとかつけてほしい。
他にもヴィブラニウムがワカンダの技術全てを支えてるわけじゃないし、あんな鎖国状態でどう国民を教育して技術力高めてるのかも気になる。
なんてぼんやり妄想が膨らんでいく。
今回はワカンダの世界観を「鋼の錬金術師」の世界観と重ねて考察してみる。
機械鎧(オートメイル)はWikipediaでは以下のように説明されている。
機械鎧(オートメイル)
この世界特有の義肢。神経系と直接接続することによって普通の手足と同じように動かすことができ、筋電義手に近い。銃器などを内蔵した戦闘用の物も存在する。
この世界ではポピュラーな物であるが、普通の義肢も存在する。機械鎧着用の際には大の大人でも悲鳴をあげる程の激痛を伴う手術をする必要があり、リハビリには長期間を必要とする(ピナコ曰く、「まともに動けるようになるまで3年」)。手術や機械鎧本体が高価であることなどから、例え便利であっても従来の義肢を使う者も多い。しかし、隣国との国境戦争や内乱などにより需要は高く、特にイシュヴァール内乱が起こった時は多くの負傷者が出たため、機械鎧の需要が拡大した。ラッシュバレーはこの時に義肢技術を発達させながら急速に大きくなったため、「にわか景気の街」と呼ばれている。
技師の個性や義肢としての役割以外の目的を求める物、また使用場所に合わせて改造した物や武器を内蔵した物など、作中では多種多様な機械鎧が登場する。全身甲冑のアルが機械鎧のフル装備だと思われたことがある。実際には人工臓器などの機能は不可能であり、また中枢神経につなぐこともできない。
まずヴィブラニウムと機械鎧を比較すると共通点と相違点がある。
共通点:軍事利用できること、高価であること
機械鎧には刃物や銃が仕込まれてるのが多かったし拳も硬いから、戦闘には適している。
一方でブラックパンサーのスーツも言わずもがな戦闘用だ。
そしてさっきのWikipediaの説明から機械鎧は高価な上に痛みを伴うとある。
ヴィブラニウムも同様に高価らしい。
ワカンダ・ヴィブラニウム 1グラムあたり1万ドル
ワカンダが鎖国している間はヴィブラニウム独占状態だから気軽に使えてるのかと思ったけど、どうやらかなりの希少金属であることには変わりないようだ。
だからヴィブラニウムを使う技術は発展していても、使う人はごく僅かなんだろう。
ならば、希少なヴィブラニウムはどういう扱いなのか?
そこで相違点を考える。
相違点:ヴィブラニウムは軍事利用以外にも汎用性が高いこと
劇中では軍事利用の他にも多方面に発展していた。
例えばキモヨビーズ*1からは、ヴィブラニウムが通信・医療方面の発展にも寄与していることが分かる。
marvelcinematicuniverse.wikia.com
それに対して機械鎧の役割は軍事利用の他、普通の義肢より神経に繋ぐ分親和性は高そうだということが考えられるが、普通の義肢でも日常生活は可能だろう。
ヴィブラニウムはその万能さ故に武器としての機能の他にも使い方が多様だ。
しかし、ワカンダではヴィブラニウムを使わない方法も医療などで開発されている。
ヴィブラニウムはあまりに希少でワカンダ内でも誰でも使えるわけではないからなのだろうか?
(貧富の差によるヴィブラニウム格差は相当なものだろうし。)
この疑問には、ワカンダが独自発展させた医療等の技術=錬丹術*2と仮説立てて考えていきたい。
ハガレンの世界では機械鎧の技術と錬丹術の技術は別物で語られており、それぞれ発展した地域も違う*3。
つまり元からそれぞれの技術発展のモチベーションは別々なのだ。
こう考えると、ヴィブラニウムの希少性からヴィブラニウムを使わなくても良い技術が開発されたというよりは、ヴィブラニウム研究とその他の研究は別々に行われてたと考えるほうが自然な気がする。
つまりヴィブラニウム非使用の技術には「ヴィブラニウムを使えない貧しい人も幸せになれる技術開発を」というより「ヴィブラニウムが無くてもみんな幸せになれる技術開発を」というコンセプトがある。
ヴィブラニウム非使用の技術ですらすごいのは、ヴィブラニウム研究の発展によって国全体の研究への士気が高まったからなんじゃないだろうか。
ヴィブラニウム非使用の技術は他国と同じように愚直に研究開発されたと考えるのが自然だろう。
だからきっとワカンダの技術はヴィブラニウム使用のものはチートだとしても、非使用ものはある程度我々にも馴染めるものが多いんじゃないかな。
その馴染め具合というのは、おそらく錬金術から見た錬丹術のようなものなのだ。