msha_on’s blog

映画を観た感想を中心に日常の気づきを呟いていくドラえもん好きです。

のび太の月面探査記:ドラえもんが藤子・F・不二雄の手を離れる恐怖

youtu.be

 

doraeiga.com

本日10月15日18時,2019年公開のドラえもん映画の予告編*1が公開された。

 

今回は予告編公開が相当遅かった印象(例年は7月くらいかな?)。

 

発表前のカウントダウンも4日前からあり,ずいぶんドキドキさせられた。

蓋を開けてみればそれだけ勿体ぶった理由は,辻村深月が脚本を務めるというニュースがあったかららしい。

 

この予告編を観て,ドラえもんというコンテンツが主の手を離れて扱われる恐怖というものを初めて感じた。

 

 

予告編は藤子・F・不二雄先生の言葉から始まる。

藤子先生やドラえもんに慣れ親しんだ視聴者からすると「せやな」って内容の語りが続いた後に,「そんな,藤子・F・不二雄作品を観て育った,1人の少女がいた」と急に話題が別の人物へ移る。

この予告編を観ている人は全員藤子・F・不二雄作品を観て育っているのだから,そんな大前提をここで持ってこられてもな,と戸惑う。

この違和感は的中する。

脚本家の紹介だったのだ。

直木賞作家,辻村深月

news.livedoor.com

今までドラ映画の監督や脚本を務めた人に,恐らくここまで著名な人がいなかったから,こんな盛り上がってるんだろう。

 

新作映画を紹介する際に,「『時をかける少女』の細田守監督」みたいにスタッフ名を売りに出すことは常套手段だ。

だがそれにしても,予告編の半分を脚本家が専有するのはドラ映画予告編として異例すぎる。

辻村深月脚本というニュースには,それを実現できた藤子プロ(なのか?)と視聴者の中にいる彼女のファンは喜んだろう。

その喜びが,この予告編に素直に現れている。

予告編だけではない。

ホームページも今までで一番スタッフやキャストを目立たせるデザインだ。

 

 

どうだ?この予告編,ホームページ。

 

 私はドラえもん藤子・F・不二雄先生が一脚本家の影に隠れてしまっていることが,とても悲しく思えた。

 

まず,予告編内での辻村深月のコメントだ。

彼女はすごいドラえもんファンらしいけど,この映画やドラえもんの魅力を引き立たせるようなコメントはしていない。

彼女のコメントも,ドラえもんの歴史の紹介も,藤子・F・不二雄の言葉も,すべて辻村深月のためのものなのだ。

このインパクトのせいで,その後の皆で月に行って友情熱く語る予告が一ミリも頭に入ってこなかった。

 

更に,ホームページのスタッフ・キャスト紹介にも違和感はある。

予告編より先にスタッフ・キャスト紹介が入る,優先順位の高さ。

予告編も含め,なんで今このタイミングで急にここまで「藤子・F・不二雄は偉大!」って押し出すのかと思ったら,辻村深月を推したいが一番に目立たせちゃっても,という謙遜の道具だったんだね。

 

 

この映画は,藤子プロのでも辻村深月のでもなく,ドラえもんの映画のはずだ。

辻村深月の自伝がドラえもんキャラクターによって語られる,みたいな映画ならこの予告編で良いんだけど,きっと普通のドラ映画でしょ。

今まで,新生ドラえもんは色んな人の手に触れて色んな可能性が見つけられ続けていってほしい,って思ってた。

その気持ちは変わらないけど,ドラ映画の主役がドラえもんじゃない誰かになるのはあまりに寂しい。

きっとこの予告編は,純粋にドラえもんを楽しみたい子ども達には届かないもんね。

 

来年のドラ映画が面白いかどうかよりも,このような"コンテンツの扱い方"のほうが繊細で大事なことのように思う。

繊細なだけに色々な意見があるんだろうけど,私が今作の映画プロジェクトに悲しい第一印象を持ったことは,ここに書き留めておく。

*1:正確には制作発表会見で流されたスペシャル映像だが,魅せ方からしても第一弾予告編と捉えて差し支えないだろう。