msha_on’s blog

映画を観た感想を中心に日常の気づきを呟いていくドラえもん好きです。

オーシャンズ8:このご時世に宝石盗み?(笑)って思った奴

youtu.be

 

オーシャンズ11のリブート作品。

 

メインテーマはジェンダーロールと多様性か。

過去のオーシャンズシリーズのメンバーも多様だったけど,今作は盗みのその後の生活まで描く徹底した多様性の描きっぷり。

 

流行りのテーマだし,「時代に合った映画」と評されそうだけど,現代でオーシャンズ映画を作ることになんの意味があったのだろうか。

オーシャンズといえば男」なんて男女差別じゃんって話?

それもあるかもね。

 

でも今作に見られる一見時代とミスマッチな違和感こそが,オーシャンズ8で苦労した,或いは伝えたかったことなんじゃないか?

今回議論していくのは

なぜ現代でこんなアナログに"モノ"を盗む必要があったのか

ということ。

 

 

IT化が進んだ現代。

アタッシュケースに札束が入ってるのとか,このキャッシュレス社会ではなんかダサくなっちまった。

コンテンツ市場に乗り込むほうが時代にあったオーシャンズなんじゃね?なんて思う。

 

こういう考えでは,"モノ"の対比が"コンテンツ"であることが前提だろう。

でもそれは,彼女らの目的が盗みや詐欺による金稼ぎだったらの話。

彼女らが求めてたのはお金じゃなくて"贅沢"だったのね。

 

"贅沢"では,モノの対比はコンテンツとはならない。

五感でゾーニングされる(私見)。

代表例を上げていくなら,

  • 聴覚:オーディオ
  • 味覚:グルメ
  • 嗅覚:パフューム
  • 触覚:マッサージ
  • 視覚:モノ

となる。

だが,もう一つここに含まれない例外的な"贅沢"がある。

これらを大前提として,どこにも属さない"コンテンツ"だ。

 

コンテンツというのは五感の圧縮状態とでも言えるだろうか。

つまりレベルの高い贅沢なのだ。

対してオーシャンズが求めたのは低レイヤーの贅沢。

贅沢の原点。

人間の五感で最も重要度の高い,視覚の贅沢。

その贅沢を得ることこそが,オーシャンズの役割だったのだと,現代でリブートしてくれたおかげで気付けた。