オーシャンズ8:このご時世に宝石盗み?(笑)って思った奴
オーシャンズ11のリブート作品。
メインテーマはジェンダーロールと多様性か。
過去のオーシャンズシリーズのメンバーも多様だったけど,今作は盗みのその後の生活まで描く徹底した多様性の描きっぷり。
流行りのテーマだし,「時代に合った映画」と評されそうだけど,現代でオーシャンズ映画を作ることになんの意味があったのだろうか。
「オーシャンズといえば男」なんて男女差別じゃんって話?
それもあるかもね。
でも今作に見られる一見時代とミスマッチな違和感こそが,オーシャンズ8で苦労した,或いは伝えたかったことなんじゃないか?
今回議論していくのは
なぜ現代でこんなアナログに"モノ"を盗む必要があったのか
ということ。
IT化が進んだ現代。
アタッシュケースに札束が入ってるのとか,このキャッシュレス社会ではなんかダサくなっちまった。
コンテンツ市場に乗り込むほうが時代にあったオーシャンズなんじゃね?なんて思う。
こういう考えでは,"モノ"の対比が"コンテンツ"であることが前提だろう。
でもそれは,彼女らの目的が盗みや詐欺による金稼ぎだったらの話。
彼女らが求めてたのはお金じゃなくて"贅沢"だったのね。
"贅沢"では,モノの対比はコンテンツとはならない。
代表例を上げていくなら,
- 聴覚:オーディオ
- 味覚:グルメ
- 嗅覚:パフューム
- 触覚:マッサージ
- 視覚:モノ
となる。
だが,もう一つここに含まれない例外的な"贅沢"がある。
これらを大前提として,どこにも属さない"コンテンツ"だ。
コンテンツというのは五感の圧縮状態とでも言えるだろうか。
つまりレベルの高い贅沢なのだ。
対してオーシャンズが求めたのは低レイヤーの贅沢。
贅沢の原点。
人間の五感で最も重要度の高い,視覚の贅沢。
その贅沢を得ることこそが,オーシャンズの役割だったのだと,現代でリブートしてくれたおかげで気付けた。